-クロガネジム-





「あら?」
ジュンがベッドから体を起こすと、窓の向こうの空はオレンジ色だった。
数十秒の思考を経て、ジュンは自分が寝過ごしたことを理解した。
ぎゃああい!
ポケモンセンターの一階で本棚を漁っていたヒカリは、ジュンの悲鳴に顔をあげる。
ようやく起きたか、と部屋へ戻ると、ジュンは慌ただしく着替えていた。
ヒカリが入って来たのを見とめると、金切り声で叫んだ。
「なんで起こしてくれなかったんだよう!」
「起こしたわ。昼に一回」

ジュンは昨夜の炭坑で、明け方近くまでトレーニングに励んだ。
励み過ぎて、貸し部屋へ帰るなり床に倒れ込み、死んだ様に眠った。
一足先に到着し、寝た振りで待っていたヒカリは、もう一度起きざるを得なかった。
迷惑をかけたくなかったから黙って出て行ったのだろうに、詰めが甘過ぎるジュンだった。
仕方無くヒカリは、泥まみれの幼馴染みを背負い上げベッドまで運ぼうとした。が、いささか非力過ぎて押しつぶされそうになってしまう。
ヒカリはバトルをする時以上に疲労し、最終的には手持ちのコリンクを呼ぶハメになった。
ポッチャマと同じく戦闘以外でボールの外に出して貰えたコリンクは、喜び勇んで手伝ってくれた。
ヒカリが愛情を示さない割には、ポケモン達は主人を慕っているようだ。

ジュンは何かを探すようにクルクルと回転していた。
「あれ?あれ?ナエトルは?!ムックルは?!」
どうやら自分のポケモンが部屋の中に居ないのに気づいたらしい。
「カウンターに預けて来たわよ」
「え?ヒカリが?」
ジュンが目を瞬かせる。
しかしヒカリが答える前に廊下へ飛び出して行った。
ジュンが忘れていったショルダーを拾い、ヒカリもゆっくりと後を追った。


階下ではジュンが、自分のモンスターボールを受け取っていた。
階段を下りて来たヒカリからバッグを受け取ると、
「サンキュー!お陰でピンピンしてるよこいつら」
と、いっぱいの笑顔で感謝を述べる。
ヒカリも釣られてか、口元が笑った。

「・・・行きましょう。ヒョウタさん、待ってくれてる。」
ジュンはその言葉に飛び上がった。
「もしかして、ジムに行ってくれたの?」
ヒカリが頷くと、ジュンは再び礼を言い、きりりと口を締めてセンターを出た。



クロガネジムは外見こそ、他と変わらぬ風体である。
しかし中に入ると、吹き抜けの大広間に、まるで山を模してるかのような高低差を配した、石造りの足場が広がった。
ジュンは勢い良く突っ込んで行ったものの、一歩その独特のフィールドに踏み込むと、目を丸くして山を仰いだ。

「ようこそ、ジュン君。待ってたよ!」
ヒョウタが不敵な笑みで声をかける。
それまでキョロキョロとしていたジュンも、声にサッと顔を上げる。
館の主は奥の高台にある、バトルフィールドを装丁した平地に立っていた。
見下されるのが性に合わないジュンは、急いでそこまで駆け上る。
が、その勢いのままにヒョウタの手前まで近づくと、「待っててくれて有り難う!!」と叫んだ。
ヒョウタは一瞬怯んだが、すぐに表情を和らげにっこり笑う。
「君のような真っ直ぐな子が好きなのさ。その代わり、退屈させないだろうね?」
眼鏡の奥の目が、ジムリーダーに相応しい輝きを宿した。
ジュンはそれを見ると増々破顔し、後ろへ数歩下がってボールを前に掲げた。まるで水戸黄門の印籠である。

「ジムリーダー!挑戦しに来たぜ!」

ヒョウタはこの初心者とは思えぬ、ちっとも緊張を表に出さない子供に、心の底から喜んだ。
先日の冷たい少年と違い、目の前の彼は、自分のバッチの価値に相応しいと感じたからだ。
ヒョウタは、本当はあの少年にバッチを渡したく無かった。


夕暮れに溶け込みそうな、赤茶けた屋根。
ヒカリは暫くクロガネジムを見上げていたが、中に入る。
奥からは技のぶつかり合う音と、ジュンのかけ声が聴こえた。

「ナエトル!よくやったぞ!戻れ!」
ジュンがナエトルを引っ込め、ムックルに交代させているところだった。
相手を見ると、ヒョウタのイシツブテが伸びている。善戦しているようだ。
ヒョウタは小憎らしいと言った表情で居るが、まだ余裕がありそうな気配である。ヒカリが来たことに気づき、一瞬笑いかけて来た。
次の瞬間、ヒョウタのモンスターボールから巨体が現れた。
ズズン、と地面が揺れる。
高さ4mはあるだろうか。石の蛇、イワークだ。

ヒカリはほう、とため息を吐く。
ヒョウタの充ち満ち足りた顔は、喜びに歪んでいた。
その目の端に、ひっそりとした光が灯っていたことを、ヒカリは一生忘れないだろう。

イワークの死角をとるように、ムックルが何度も旋回する。
強敵の威嚇に臆する事無く、ジュンは果敢に立ち向かった。
「焦っちゃダメだ!少しずつで良いから確実に行くぞ!」
昨日の特訓は、それまでごり押し、攻撃の一点張りだったジュンに、多くを考え直させた。
炭坑夫達のワンリキーに、攻撃力では負ける相手というものを学んだのだ。
ムックルは影分身で、イワークの大振りな攻撃をひらりひらりとかわす。
しかしヒョウタも負けずに攻めて来た。
イワークが石の関節をきしませると、その不快音にムックルは軌道を崩した。
「そこだ!」
巨大な石の尾が振り下ろされ、小鳥は叩き落とされてしまった。
「ああ!」
ジュンがうめき声を上げて、地面に横たえたムックルに駆け寄る。
小さな体を抱え上げたその悲痛な横顔と、冷えた目で見下すヒョウタの表情。
ヒカリは二人をじっと見つめた。
2つの感情、2つの温度。石に囲まれ静かに佇む冷血に対し、ジュン、あなたは優しい。

しかし、顔を上げたジュンの目は死んでいなかった。
ムックルを労ると、再びナエトルを呼び出した。
いつになく凛々しい顔つきの幼馴染みに心中驚くヒカリとは違って、ヒョウタは期待通りと言わんばかりに頷く。
穏やかだが、目の光はジュンの底を見透かそうと、細く鋭く研ぎすまされていた。
ヒョウタを真正面からしっかり見据える少年は、微塵も不安を感じていない。
ヒョウタは満足そうに笑んだ。




結果は辛くもジュンの勝利だった。
ナエトルは相性の良さもさながら、ムックルに続く健闘で見事、先に相手の膝を地面につかせたのだ。
ただ、ヒョウタの3匹目、ズガイドスに少々息を乱されただけが心残りである。
「知らないポケモンに警戒するのはいいけど、観察にかまけて指示をおざなりにしちゃあだめだよ。」
ヒョウタがズガイドスの丸い額を撫でながら、爽やかに言う。
「なんだか、わざと負けたように見えるぜ?」
割と平気そうなズガイドスを見て、ジュンがしかめっ面をする。
替わって勝ったはずのナエトルは、満身創痍でへたり込んでいるのだ。
激戦の末の、「参った!」と負けを認めたジムリーダーの声に、ジュンは観戦していたヒカリに飛びついて喜んだ。
が、相手の様子を確認して釈然としない面持ちのようだ。
ジュンの不満も気にせず、ヒョウタはにこにこと歩み寄った。
ポケットを探り、小さな金属を手渡す。
「僕のバッチだ。名前はコール。コールバッチ。」
「コール。」
「石炭って意味だよ。」
ジュンは親指で滑らかなバッチをこする。
鈍い銀色の光が瞬き、表面にジュンの顔が暗く映り込んだ。
ヒョウタはポン、とジュンの肩を叩き、続ける。
「さぁ、ポケモン達を回復させてあげなよ。それから、良かったら、今度は僕にもトレーニングをつき合わせておくれ。」
その言葉にジュンは顔を上げた。
炭坑夫達を伝わって、昨夜のジュンの努力も、やる気も、とっくにヒョウタは知っていたのだ。
ジュンは暫く口をぽかんと開けていたが、すぐに満面の笑みを浮かべると、一礼し振り返った。
「ヒカリ、戻ろうぜ!」
それまでぼんやりと二人を見ていたヒカリは、急に声をかけられ我に返った。
一瞬間を置き、
「・・・先に戻ってて」
と返す。
ジュンは目を瞬かせたが、いつもの笑顔で「わかったよ」と、何も詮索せずにジムを後にした。

ヒカリはジュンの後姿を見送ると、ヒョウタに向き直った。
ヒョウタもじっとヒカリを見つめる。
「僕に何か?君も本当はバッチを集めてる?」
「違うわ」
「じゃあ、何かな、・・・赤い帽子の子のこと?」
ヒカリのゆっくりとした瞬きに、ヒョウタは目を細めた。

「・・・バッチの授与に不満があるのか・・・」

ヒカリの口が静かに開かれた。
「不満なんて無いわ。でも、気になったの」
炭坑で出会った時も、バトル中の不思議な表情も。ヒカリはヒョウタをあちら側の人間なのだと感じた。
かと思えば愛おしそうに手持ちのポケモンの頭を撫で、優しい顔つきでジュンに話しかける。
「何故ジュンには手を抜き、『彼』にはバッチを渋ったの?」
ヒョウタの目が見開かれ、口元が緩んだ。
その質問が意外ながらも、嬉しいかのようだった。

しばし間を置き、ヒョウタは眼鏡に手をかけながらポツポツと語った。
「手を抜いてなんかいないよ。ただ、もう十分にジュン君を認めたから終わりにしただけだ」
顔を上げたその目は、優しく、しかし陰りのある色だった。
「僕がバッチをあげる基準はね、勝ち負けではなく、実力差ではなく、トレーナーとしての本質を持ち合わせてるかどうかなんだ。
気持ちを大切にし、目標の為の苦難に自ら飛び込んで、ポケモン達と一緒に成長する。そうだ、ポケモンを忘れちゃいけない。
大事なパートナーの隣を歩けないようじゃ、トレーナーは一体何の為にいるんだ?
ジュン君のような初心者でもそれは大切なことだし、いや初心者だからこそだ。」
「ジュンに目標がある?」
ヒカリは純粋な疑問を抱いた。
一緒に育った自分ですらそんなことはわからないのに、この男は見抜けたと言うのか。
ヒョウタは、ふふふ、とニヤけて笑った。
「僕には気づけたけど、君は気づかないのかな?」
ヒカリは目を泳がせた。さっぱり思いつかない。
ヒョウタが再び目を落として言う。
「君はどう?戦いの中に自分のパートナーを置き去りにしていない?あの少年はそうだった。」
優しい表情が消え失せ、目の奥の闇が迫る・・・
「僕は恐怖さえ感じた。ポケモンを道具のように扱うなんて、絶対にいけない。それで強くなろうとするなんて孤独なだけだ。
けれどあの冷たくて頑なな態度は、僕の信条さえ打ち砕いてしまった。
・・・こいつの親も使って、全力で叩きのめそうとおもったんだけどね。」
ヒョウタは傍らのズガイドスを見やった。
が、再度暗くうつむいた。
「それでも、完敗だった。誰かが彼を止められればいいけど、もしかしたら・・・ジムリーダーは全員歯が立たないかもしれない。」
ヒカリも足元に目をやり、考え込む。
この男の言う通り、冷徹さが諸刃の刃だとしても、コウキの強さは揺るがない。
だとすれば、勝ち残った方が正しくなってしまうではないか。

が、次にヒカリを見つめたヒョウタの眼差しは強い光が宿っていた。
「止められるとしたら、それは君なんじゃないか。」

突拍子も無い意見に、ヒカリは弾かれるように見上げた。
ヒョウタの表情はしっかりと目の前の少女の根底を捉えていた。
ヒカリはその瞳を、この二面性とも言えるジムリーダーの、本心の側のものだと確信した。
この男は冷たい暗闇を理解しながらも、暖かい日差しに焦がれている、優しい男なのだ。

「忘れないで、・・・」

ヒョウタの目が揺れた。・・・何を、言おうとしているのか?
しかし言葉を続けず、ヒョウタは背を向けた。
ズガイドスをボールに戻す。

ヒカリは無言でヒョウタを見つめ続けたが、その背中がもう何も語ろうとしていないのを悟り、ジムを後にした。


既に外は暗く、夜空に星がちらついていた。
ヒカリはもう一度ジムの屋根を睨む。
・・・何を忘れるなと言うのだろうか。

























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